2日目昼食は、宝福寺境内地にある般若院さんで、精進料理(または湯豆腐)をいただきました。
お食事の座敷からは昭和2年に国宝指定された美しい三重塔が見えます。
宝福寺は画聖・雪舟が少年期を過ごした禅寺として有名です。
こちらは普段内部公開されていないのですが、くずさんのお取次ぎで拝観させていただき、和尚様のお話をうかがうことができました。
和尚様はたいへん博学でチャーミングな方。
雪舟が柱に縛り付けられて自分の涙でねずみの絵を床に描いたというのも論理的に考えると無理な話で…(その根拠も説明してくださり)
後世に偉大な人物の伝説として創作されたものでしょう、モデルとなったと思われる故事が中国のほうにある、という調子で。
お茶や能にも造詣が深く、
「お能の史跡を巡る会です」というと
「この寺は能の史跡ではないが、私の名前は小鍛冶です」
和尚様曰く、能「小鍛冶」のワキ、三条小鍛冶宗近の家の出自は金沢なのだそうです。(で、和尚様は金沢御出自だそうです…)
さて、ひといきついてお寺でお抹茶とお菓子をいただきました。
くずさんが差し入れてくださったお菓子は「きせわた」。
これは9月9日、重陽節句にちなんだお菓子です。
日本の節句は1月1日(正月)、3月3日(桃の節句)、5月5日(端午の節句)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽節句)。
吉数である奇数が重なる日を重視し、中でも最大整数の重なる9月9日は「重陽」とのみ称されるならわしです。
この日は、菊の花に綿をかぶせて、菊から滲み出る露をふくませ、これをしぼって飲んだり、これで身をぬぐうと長寿が得られるという習慣がありました。
菊の色に対してのせる綿の色も決まっていたようで、これも美しい節句です。
菊の花にふんわりと真綿の乗った様子をあらわしたお菓子です。
さて、当日は9月13日(奇数が重なってますし)、タイムリーでおめでたいこのお菓子、不思議な伏線がありました。
実は1日目の藤戸寺で、境内にそびえ立つおおきな石柱に、能「菊慈童」のだいじな経文が刻まれていたのです。
具一切功徳 慈眼視衆生(ぐいっさいくどく じげんじしゅじょう)
福寿海無量 是故応頂禮(ふくじゅかいむりょう ぜこおうちょうらい)
我々はこの身にすべての功徳を受け備えて生まれてきた
仏は慈悲のまなざしをもって我々を見守っている
幸福は海のように無限に与えられている
この故に謹んで御仏に心より感謝するのである
周の穆王に寵愛されていた少年は、皇帝の枕をまたいだ罪で山に捨てられます。
哀れに思った皇帝は、少年に経文の二句を授けるのです。
少年はこの二句を忘れないように、来る日も来る日も山奥の菊の葉に書き付けて
谷水に流すと、その水は薬となって、いつしか少年は800年の時を生きていたのでした。
・・・そんな伏線。
藤戸寺と菊慈童に関連はありません。
二句の経文は法華経・普門品の一節。
キリスト教の聖書の引用と同様に、特に心に留めたい経文の句を抜粋して引用する、という慣例があったのです。
さらに、この二句は周の穆王がお釈迦様から直接賜ったという、八句の経文の一部です。 この八句は、一国を治める者のためにと授けられたのです。
↓この中にその八句が。さがしてくださいませ(^v^) 観音経
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