樋口一葉のたけくらべと、能の井筒のおはなしです。
能の井筒の原典は伊勢物語23段「筒井筒」です。
幼なじみの男女が井筒のそばで背比べをしあって成長し、互いに初恋で、年頃になったとき男が女に歌を贈ります。
筒井筒 井筒にかけしまろがたけ 過ぎにけらしな 妹(いも)見ざるまに
~いつのまにか、井筒のそばで背比べしたあの頃はとおくなり、
僕の背はしばらく君に合わないうちに、あの井筒の丈を越してしまって、
君への想いのたけもあふれるほどになってしまったよ。
女の返歌は
比べこし 振り分け髪も肩過ぎぬ 君ならずして 誰かあぐべき
~同じ幼子のおかっぱ髪で、長さをくらべあって遊んでいましたが
私の髪は長く伸びて、もうあの頃の子供ではないわ。この髪を
結いあげるのは(結婚のしるし)あなたのためですわ。
そうしてふたりは結ばれた…
けれどやがて、男はもうひとりの女のところへ通うようになります。
(伊勢物語には経済的困窮のためと書かれていますが)
女は不満な顔ひとつせず見送る。
男は逆に留守中の浮気を疑って、出かけるふりをして植木に隠れ、妻をみはっているのです。
女は美しく装って、夫の越えて行く山を見やり、こう詠いました。
風吹けば おきつ白波龍田山 夜半にや君が ひとりこゆらん
~あの山は強い風が吹いて川波がかかって危険なのに、 夜にひとりであの山を越えてゆくあのひとが とても心配。
男は次第に、もうひとりの女のもとには通わなくなりました…
能「井筒」には、いつまでも井筒のそばにとどまりつづける女の魂が現れます。
夫の形見という衣装を身につけ、思い出の井戸にその姿を映すと、それはもう自分ではなくて、愛する男の姿に見えるのです。
ふたりがひとつで、ずっといっしょだと、疑うこともなかった日々。
でもある日、それが幻想だと気づくことがある。
そのとき、そのギャップをどうするのかというのは主に女の抱えるテーマかなあと思ってしまうし、「井筒」に限らずこのギャップに葛藤する女の魂を見ると、なんだか不公平かも…と思ったりもするのですが(ある意味幸せなんですが)
「たけくらべ」では、そのへんがとても公平な感じがします。
ただ、「井筒」が「たけくらべ」の源泉であるということは納得できないひとが多いかもしれません。
たけくらべの男女は、ちっとも仲良しの幼なじみでもないし告白もしあわないし、結ばれもしません。
勝気な少女美登利は吉原の遊郭に住み、ゆくゆくは遊女になる運命をもつ少女ですが、
羽振りもよく華やかで人望があります。
対して龍華寺僧侶の息子信如は、俗物的な父を恥じる真面目一方な少年。
美登利と信如は同じ学校に通っていますが、あるとき美登利が信如に優しくするのを周りに冷やかされてから信如はぎこちなくなり、その後も美登利は気にせず、背の高い信如に枝の花を取ってと頼んだりしますが次第に気まずくなっていきます。
当時吉原の遊郭は、鳶の頭の子長吉を中心とした集団と、 金貸しの子正太郎を中心とした集団に分かれ対立していました。
夏祭りの日、長吉ら横町組の集団は、 横町に住みながら表町組に入っている三五郎を正太郎の代わりに暴行。
美登利は正義漢で、これに怒りますが、長吉に罵倒され屈辱を受けます。しかも信如が長吉の後ろにいると聞かされショックをうけます。
ある日、信如が美登利の家の前を通りかかったとき下駄の鼻緒を切ってしまいます。
美登利は信如と気づかずに近付きますが、これに気づくと、恥じらいながらも端切れを信如に向かって投げるのです。
信如はこれを受け取らず去って行き、美登利はさらにショックを受けますが、やがて信如が僧侶の学校に入ることを聞くのでした。
美登利が遊郭に出る日がやってきました。
ある日髪を大島田に結い上げて、花魁の姿で町を行く。
それはたいへん美しい姿でした。
けれど美登利は嘆き悲しんで、仲良しの正太にも心を開かないで泣いています。
なぜ、おとなにならなければならないのか。いやだ。いやだ。
いつまでもお人形遊びをして、なにも知らないで暮らしていたかったのに。
その日から美登利が、子供に混じって遊ぶことはなくなりました。
ある朝水仙が家の窓に差し込まれているのを見て美登利は何故か懐かしく思います。
それは信如が僧侶の学校に入る日でした。
実は、私が初めて知った「たけくらべ」は、「ガラスの仮面」です。
原文はかなりの文語体ですが、やはり原文は美しく、ニュアンスが蜜で繊細なのですね~
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